最近は、何か困ったことがあると、すぐにスマートフォンで調べることができます。
便利な時代になりましたが、その一方で情報が多すぎて、かえって不安になってしまうこともあるのではないでしょうか。
そんな現代に、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)というお経に繰り返し出てくる「念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)」という言葉を紹介させていただきたいと思います。
これは「観音さまのお力を心に念じる」という意味の言葉です。たったこれだけの言葉ですが、お経の中では何度も何度も繰り返されます。
昔の人々にとって恐ろしかったものは、大火事、大洪水、盗賊、毒蛇、鬼神などと言われていました。では、現代ではどうでしょうか?少しご自身に置き換えて考えてみてください。
人間関係の悩み。仕事や学校でのプレッシャー。SNS等での心ない言葉。病気の心配。将来への不安…など。考えてみますと、私たちも毎日のように様々な「災難」に出会っています。
そのような苦しみの中どうすればいいのでしょうか?
観音経では「そんなときは、念彼観音力と唱えればいいんだよ」と教えてくれています。
では、観音さまの名前を念じれば、すべての問題が一瞬で消えてしまうのでしょうか?
観音さまの正式なお名前は、「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」といい、「世の人々を観て、声を聞いて、その苦しみを聞いてくださる菩薩」という意味です。
苦しみの声を聞き、悲しみに寄り添い、その人に最もふさわしい方法で救いの手を差し伸べてくださる。それが観音さまの慈悲の力です。
ここでいう「慈悲」とは、「ただ優しい」ということではありません。
「慈」は、人に安らぎや喜びを与えようとする心(与楽)。
「悲」は、人の苦しみを取り除こうとする心(抜苦)。
この二つを合わせて「慈悲」といいます。相手の苦しみを自分のことのように受け止め、「何か力になれないだろうか」と願う心です。
そして、観音さまを念じるということは、「その慈悲の心に自分の心を重ねる」ということでもあります。
不安でいっぱいになると、私たちの視野は狭くなります。怒りに支配されると相手の気持ちは見えなくなります。焦っているときには正しい判断も難しくなります。
そんなとき、「念彼観音力」と唱えることは、一度立ち止まり、「観音さまならこの人をどう見るだろう」「この出来事をどう受け止めるだろう」と、自分の心を整える時間になるのです。
すると不思議なことに、状況は変わらなくても、自分の受け止め方が少しずつ変わっていきます。
慌てていた心が落ち着きます。怒っていた心がやわらぎます。一人ぼっちだと思っていた心にも「大丈夫!」という安心が生まれます。
これこそが観音さまのお力なのではないでしょうか?
観音さまは、三十三もの姿に身を変えて人々を救うとお経の中で説かれています(三十三応現身)。それは、「困っている人を救う方法は一つではない」という教えでもあります。
家族の励ましかもしれません。友人の一言かもしれません。お医者さんや先生との出会いかもしれません。あるいは、静かに話を聞いてくれる誰かかもしれません。
もしくは、優しい言葉だけではなく、たとえ叱咤や激励であっても、あとから振り返ってみると「あの時のあの言葉が自分を変えてくれた」と思える日がくるのかもしれません。
実は…その一つ一つが、観音さまの慈悲の現れなのです。
私たちは「助けてもらう側」になることもあれば、「誰かを支える側」になることもあります。
誰かの話を最後まで聞くこと。困っている人に「大丈夫ですか?」と声をかけること。悲しんでいる人の隣に静かに坐ること。そんな小さな行いもまた、観音さまの慈悲をこの世に届ける姿なのだと思います。
「念彼観音力」
それは、苦しみがすぐに消えてなくなる魔法の言葉ではありません。
たとえ苦しみの中でも慈悲の心を忘れず、人を思いやり、自分の心を整えて共に歩んでいくための言葉です。
今日も誰かの声に耳を傾けることができますように…そして、私たち自身が、誰かにとっての観音さまのような存在になれますように。
