最近、AIという言葉を聞かない日はないくらい、私たちの生活の中にAIが入ってきました。
分からないことを聞けば教えてくれる。
長い文章を短くまとめてくれる。
悩みを相談すれば、それらしい答えまで返してくれる。
私も使うことがありますが、「ここまでできるのか」と驚かされることがあります。
では、これからAIがもっと賢くなって、どんなことにも正しい答えを教えてくれるようになったら、私たちは幸せになれるのでしょうか。
考えること。
文章を書くこと。
絵を描くこと。
音楽を作ること。
これらは、すでにAIができるようになっています。
では、そんな時代に、人間にあってAIにないものとは、いったい何なのでしょうか。
私が考える、その答えの一つとして…
「思い通りにならない人生を、実際に生きている」ことなのではないかと思います。
私たちは失敗します。
大切な人と喧嘩をしたり、
言わなくてもいいことを言って後悔したり、
頑張ったのに報われなかったり、
大切な人との別れを経験したりします。
「どうして自分だけが」と思うような日だってあります。
AIに「つらい」と話しかければ、話を聞いてくれます。そして「それはつらかったですね」とも答えてくれます。
けれども…
AI自身が人間のように眠れない夜を過ごしたり、大切な人を失って、もう一度会いたいと願ったり、誰かを傷つけてしまったことを後悔しながら生きているわけではありません。
少なくとも今のAIについて、そのような意味で人間と同じように人生を経験しているとは言えません。
仏教は、こうした思い通りにならない人生を「苦」という言葉で見つめてきました。
生きること。
老いること。
病むこと。
大切な人と別れること。
欲しいものが手に入らないこと。
私たちは、思い通りにならない世界の中で生きています。
だからこそ…
自分が悲しい思いをしたことがあるから、悲しんでいる人の隣に座ることができる。
自分が失敗したことがあるから、失敗した人を簡単には責められなくなる。
自分が誰かに助けてもらったことがあるから、今度は自分が誰かに手を差し伸べようと思える。
もちろん、苦しみを経験すれば、必ず優しくなれるわけではありません。それでも、人間の弱さや苦しみは、時として、誰かを思いやる心につながっていくのだと思います。
AIは便利です。これからもっと便利になるでしょう。
だから、AIを遠ざける必要はないと思います。
分からないことは聞けばいい。
仕事を手伝ってもらえばいい。
便利なものは上手に使えばいい。
でも…
『私はどう生きるのか?』
その答えまでAIに決めてもらう必要はありません。
どれだけたくさんの答えを教えてもらっても、最後にその答えを選び、誰かと関わり、失敗したり、喜んだり、悩んだりしながら、その結果を引き受けて生きていくのは私たち自身です。
もしかすると、人間にとって大切なのは、何でも知っていることでも、間違えないことでも、いつも正しい答えを出せることでもないのかもしれません。
迷うこと。
失敗すること。
悩むこと。
それでも誰かを大切にしようとすること。
そんな「不完全な人生を、一日一日、自分自身で生きていく」こと。
正しい答えを知っているからといって、必ずしも幸せになれるとは限りません。大切なのは、正しい答えを探すことだけではなく、思い通りにならない人生の中で、目の前の人や出来事と、どう向き合っていくかということではないでしょうか。
AIがどれだけ賢くなっても、私たちが人間として大切にしたいものは、そんな毎日の中にあるのかもしれません。
