皆さんは、「修行」と聞くと、どんなことを思い浮かべるでしょうか。
厳しいことに耐えたり、自分を追い込んだり、普段の生活とは少し離れた特別なことを思い浮かべる方もいるかもしれません。
では、私たち曹洞宗のお坊さんは、修行道場で何をしているのかというと…
朝、決まった時間に起きる。
坐禅をする。
お経を読む。
掃除をする。
食事をいただく。
意外と、特別なことは少ないのです。
曹洞宗では坐禅を修行の中心としますが、坐禅をしている時間だけが修行なのではありません。掃除も食事も、人と接することもすべて修行です。
私自身、修行とは、何か特別なものを手に入れることより、毎日の繰り返しの中で、小さな「気づき」を重ねていくことなのではないかと感じています。
禅の世界を十枚の絵で表した「十牛図(じゅうぎゅうず)」というものがあります。
ひとりの人が牛を探し、その足跡を見つけ、ようやく牛をつかまえます。
ところが牛は、なかなか思いどおりになりません。
それでも何度も向き合い、やがて牛とともに歩けるようになります。
この十牛図を見ると、私は一冊の絵本を思い出します。
絵本作家、よこただいすけさんの『ババーチョル』という作品です。
主人公が一本道を進もうとすると、「ババーチョル」という不思議な存在が現れます。
大きくなって道をふさいだり、雨になったりして、なかなか思いどおりに進ませてくれません。
考えてみれば、私たちの毎日にも「ババーチョル」がいるのではないでしょうか。
仕事がうまくいかない。
予定が突然変わる。
人間関係で悩む。
自分の考えを分かってもらえない。
そんなとき、「あの人さえ変わってくれれば」「この問題さえなくなれば」と、苦しみの原因を自分の外側に探してしまうことがあります。
もちろん、人生には自分ではどうにもできないことや、理不尽な出来事もあります。それをすべて「自分の心の問題」と片づけることはできません。
けれど…
「いま自分は腹を立てているな」
「思いどおりにしようとしているな」
そんな自分の心の動きに気づくことはできます。
十牛図の牛とババーチョルは、もちろん同じものではありません。しかし、思いどおりにならないものをただ追い払うのではなく、それと向き合いながら歩いていく姿には、どこか重なるものを感じます。
そして…
十牛図は、やがて“悟りの境地”に至りますが、そこが終わりではありません。
最後、十枚目の絵「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」では、再び人々の暮らす町へ戻っていきます。
私は、ここがとても好きです。
町へ帰れば、また思いどおりにならないことに出会います。修行したから腹が立たなくなるわけでも、迷わなくなるわけでもありません。
つまり…
そこには、また「ババーチョル」がいるのです。
だから修行とは、「ババーチョルのいない人生」を目指すことではないのだと私は思います。
腹を立てたり、迷ったり、ときには立ち止まったりする。そのたびに自分の心に気づき、また目の前の一歩を歩き出す。
そう、ババーチョルと一緒に…。
そんな毎日の繰り返しを、私たちは「修行」と呼ぶのではないでしょうか。
みなさんはこの話を聞いてどのように感じましたか?
今日ご紹介した絵本『ババーチョル』は、清心寺の本堂にある「お寺の小さな図書館」にも置いてあります。よかったら、ふらっとお寺に遊びに来て、手に取ってみてください。そして、「自分にとってのババーチョルって、なんだろう?」と考えてみてください。
すぐに答えが見つからなくても構いません。
お寺も、正しい答えを一方的に教えるだけではなく、一緒に悩み、一緒に考えながら、小さな「気づき」に出会える場所でありたいと思っています。
