5月になりました。
新年度が始まって少し時間がたち、疲れが出てくる頃かもしれません。
まわりを見ると、仕事が早い人、要領のいい人、すぐに結果を出す人が目につきます。
それに比べて自分は、動きが遅い、理解も遅い、何をするにも時間がかかる。
そんなふうに感じて、少し気持ちが重くなることはないでしょうか。
禅の教えの中に、「利根(りこん)」と「鈍根(どんこん)」という言葉があります。
利根とは…理解が早く、頭の回転が速い人。
鈍根とは…理解が遅く、なかなか分からない人。
一見すると、利根のほうが良さそうに思えます。
ところが、永平寺を開かれた道元禅師さまは、修行の場において、この「鈍」をとても大切にされました。
道元禅師さまが問題にされたのは、能力の優劣ではありません。
「分かった」
「できた」
「悟った」
そう思った瞬間に、人は知らず知らずのうちに、自分の感じ方を中心に仏道を受け取ってしまいます。
一方で、鈍な人はどうでしょうか。
よく分からない。うまく言葉にできない。手応えもない。
それでも、やめずに続けている。分からないまま、立ち止まらずに歩いている。
その姿こそが、仏道にもっとも近いと示されました。
考えてみると、私たちの日常も同じです。
子育て、介護、仕事、人間関係。すぐに答えが出ることのほうが、実は少ないのではないでしょうか。
何が正解か分からないまま、迷いながら、失敗しながら、それでも今日を生きている。その「分からなさ」の中にこそ、私たちの本当の歩みがあります。
道元禅師さまは、修行とは「悟りに近づくための手段」ではない、と教えられました。
坐ること、働くこと、生きること、その一つひとつが、すでに仏道である。
だから、早く答えを出そうとしなくていい。要領よく生きようとしなくていい。
分からないまま、のんびり歩く。それでも、ちゃんと道は続いている。
5月は、草木が一斉に伸びる季節です。比べ合うことなく、それぞれの速さで、黙々と伸びています。
私たちもまた、鈍である自分を否定せず、分からないままの今を大切にしながら、一日一日を歩んでいきたいものです。
